山を挟んで美濃窯と瀬戸窯は相互に陶工の移動を繰り返す密接な関わり合いの中で陶磁器生産をしてきました。その歴史は古く平安時代の須恵器などから始まりますが、現在の美濃焼の形を形成されたのは安土桃山時代からです。
瀬戸の陶祖加藤藤四郎の末裔が織田信長の命の元、経済政策のため朱印状をもって美濃の大平(現可児氏)久尻(土岐市)に移住、その子孫が各地に伝えたといわれています。
16世紀末には「茶の湯」の流行を受け美濃では黄瀬戸、織部、志野など華やかな茶湯陶がいわゆる美濃桃山陶が生み出され現在の可児氏、土岐市、多治見市が中心地となりました。
それまでの流行であった侘茶の地味なものとは違い古田織部が監修したといわれるそのデザインや意匠は斬新でモダン、現代においても織部は人気の焼き物です。
しかし唐津焼同様、1610年に有田で磁器が焼かれるようになると本流が一気に移り北前船に乗り全国に流通しました。
その影響で一気に衰退し少し遅れて瀬戸でも磁器が焼かれるようになると美濃でも磁器に移行し織部や志野はなくなりました。
昭和5年に志野焼がそれまで瀬戸で焼かれていたという定説を荒川豊蔵(人間国宝)の陶片発見により覆され美濃で焼かれたことがわかり注目を集めるようになりました。
そのことで多くの作家が集まり復興を遂げ現代においても桃山陶の再現に多くの作家が情熱を燃やしています。
当店では織部や粉引き、それ以前からあった灰釉(カイユウ)で蕎麦猪口、豆皿、丼を作ってみました。
MK-01 | 粉引 そば猪口 | 希望小売価格¥1,800 | 約φ80 X H60mm |
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MK-02 | 織部3寸 豆皿 | 希望小売価格¥900 | 約φ95 X H20mm |
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